家内は、本日(8月12日)朝9:30、無事(?)入院できました。7日午前中保養先の蓼科で緊急入院(諏訪中央病)。諏訪中央病院で3日間(7日~10日)パルスを行い(=ワンクール)、10日の14:00前に自宅マンションに何とか戻り、再入院のために自宅待機。折しも今日8月12日は私の54歳の誕生日(日航機が墜落した日なので途中から誕生日を忘れることがなくなった)。幸か不幸か。
10日の日曜日は「入院手続ができない」、11日の月曜日は「部屋がない」というわけのわからない理由のために本日まで自宅待機。さすがに今日は憔悴しきった家内の様子を見て、病院中探して10階に二人部屋が空いているとのこと(それなら昨日から空いてたでしょ)。昨日の夜から今日の「朝一番で行きたい」と言っていた家内の思いが実ったのか。
足の感覚が全くなくなったのとやはり呼吸困難がひどかったらしい。簡便な血液検査をしたら酸素不足の数値は出ていなかったらしく呼吸器までは付ける必要がない、とのこと。要するに従来の慢性的な胸のしばりが首(頸椎)付近まで上がってきて息苦しくなっている。しかし今朝緊急のMRIをとっても炎症箇所はほとんど従来のまま。諏訪中央病院でのパルスがなんとか持ちこたえているのか。今日も朝すぐにツークール目のパルスを始めた。後1日入院が遅れていたら、脊髄の炎症は一気に広がっていたかも知れない(考えただけでも恐ろしい)。
この病気の治療の失敗の多くは、パルス(ステロイド)投与を躊躇することだ。炎症の急性期にはパルスを行うしかない。病気を知っている医師なら、パルス投与は常識だが、そうでない場合には、検査、検査で投与が遅れる。得体の知れない病気だから検査が長くなる。余計に検査で遅れる。諏訪中央病院でも「聞いたことがある」という医師がいたからパルス投与が一時間以内に開始された。これが今日の朝まで持ちこたえた要素の一つだったのだろう。諏訪中央病院の若林先生、本当にありがとうございました。私の家内がNMO(視神経脊髄炎)患者に実際に出くわした最初の事例であったにもかかわらず(全国、全世界のほとんどの先生は実際にこの病気の患者に出会うことなどないだろう)、少量の知見を活かして適切に処置されたことを感謝します。「免疫グロブリン」や「抗アクアポリン4抗体」などの言葉を患者の口から聞かれて、興味深そうにされていました(と家内が言っていました)。

これが諏訪中央病院正面。

病院内で恒例の「第18回ホスピタルコンサート」の準備に忙しい名院長の濱口實先生。
たとえ、「認定」患者であっても病院が違えば、一から検査をしたがる病院がある。緊急入院の場合でも(http://www.ashida.info/blog/2001/07/post_46.html)。
初めての発症の場合は、「難病」であるためパルス治療がそもそも遅れる。脳内に炎症がある場合には1日、2日の治療の遅れが命取りになることもある。間脳に炎症が起こっているにもかかわらず、「検査が先決」と“教授”に指示されて、呼吸不全で急死したこの病気の患者がいる(と聞いたこともある)。残酷なことだ。
たとえ、多発性硬化症 や視神経脊髄炎の患者であっても「心療内科」に回される場合も多いのだから、この種の残酷な事件は全国各地で起こっているに違いない。「パルス」治療に至ることさえもがこの病気には遠い道のりなのである。
今日の担当医の清水優子先生は「多発性硬化症」というよりは「NMO(視神経脊髄炎)」の専門家だったため、一層診断が適切で対応も早かった。MRI検査もベッド確保(=病室確保)も早かった。かれこれ3年お世話になっている病院でも、その時々に対応する医師の判断が生死を分ける場合も多い。諏訪の若林先生、東京の清水先生、二人の若い先生たちが家内の線の細い生命をつないでいる(それほど大げさではないが)。深謝します。
今回の再発の前兆は、体温の急激な上昇にあった。8月に入って以来、身体に熱がこもって食欲がわかない。水分摂取も十分できない。氷で身体を冷やしても熟睡できない日々が続いた。身体中から「熱が吹き出す」という感じらしい。脊髄の炎症が体温コントロールを不可能にしているということか。食欲もわかない、睡眠も充分とれない→体力低下→脊髄炎症(再発)→しびれが一気に強くなりいつもの慢性的な胸までのしばりが徐々に首の方にまで広がり呼吸困難→緊急入院。経緯としてはこんな感じ。幸いにも私の家内は、パルスが良く効く。ワンクール待つまでもなく、一回のパルスで、しびれはかなり治まる。足も少しは動くようになる。ステロイドの副作用は声が枯れる程度。それ以外には出ない。これでステロイドが効かないとしたら、私の家内はここ数年で4、5回は死んでいるだろう。
「しばりが強くなって、息もできないくらいに苦しくなるときには、お父さんに(私に)抱きしめてもらっているって思うことにしている。そうでないと耐えられない」と泣きながら訴える彼女の思いが、若林先生、清水先生の治療への熱意を生み出しているのだろう。今年の夏もやはり再発なしには乗り越えられなかった。何という病気なのか…。
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