若い人が将来どんな人物になるのかということには、こころを砕いてきたが、その人物が生きている時間を共有できないというのが、自分が死ぬということだなというのをやっといまわかるようになった。
その「わかる」は、森高千里的に、男が若い娘を好きになりがちだというのと似ている。若い娘が年老いてボロボロになるのを見ることが〝できない〟という無力の上に乗りかかった娘の美を、「はかない」というのだ。
このはかなさは、その娘の変貌を見てみたいというのと見たくないという忌避の感情を含んでいる。どちらもラカン的な〈不在〉の願望だ。〈老衰〉は、ラカン的にはヒステリー症(女性の場合)と強迫神経症(男性の場合)とが同時に起こる事態なのだ。
〝老いぼれ〟という実在は、逆に同世代の人間にしか向けられない言葉なのだ。だから、時間は断絶している。歴史とは断絶の再生なのだ。それは〝予測〟でも何でもない。むしろ〝予測〟を拒み続けている。だからこそ歴史の思考は重要なのだと思う。