吉田拓郎とかぐや姫の2006年つま恋コンサート(http://www.takuro-kaguyahime.com/)が終わった(http://www.asahi.com/culture/music/TKY200609230185.html)。私はこの放送を見逃した一人だが、1975年のつま恋コンサート(http://www.forlife.co.jp/yoshidatakuro/FLBF-8072.html)の伝説は実感を有している。私が20歳を超えたばかりの時代の伝説だった。私は最後まで拓郎を好きにはなれなかったが、嫌いな歌手でもなかった。少なくとも井上陽水を好きな連中よりは拓郎好きの連中の方がまだマシだった。
2006年のつま恋コンサートの最大のトピックは中島みゆきがステージに突然出てきたことらしい。会場全体にどよめきが起こったとのこと。このどよめきの意味することはただ一つ。かつて中島みゆきは拓郎の“女”だったということ。つま恋コンサートにいい年をして足を運ぶ連中なら公然の秘密のように知っている。
別れた二人のことをそのまま中島みゆき自身が歌にしたのが、『永遠の嘘をついてくれ』(http://plaza.rakuten.co.jp/kansha/diary/200609260000/)作詞作曲 中島みゆき、歌 吉田拓郎。書く方も書く方、歌う方も歌う方だ。
私はあきれているのではない。色恋の世界は、どこでも誰にとっても普遍だ。
ほかでもないこの歌を、突然の中島みゆきのステージ登場と共に拓郎とデュエットしたらしい。
その時の写真(1)http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/0d/e98315d6a67fda8df3a6416781f5d5bf.jpg
その時の写真(2)http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/0f/8aa6b1c67d508ccb6326a5d3b4521524.jpg
●「永遠の嘘をついてくれ」 中島みゆき 詩・曲
ニューヨークは粉雪の中らしい
成田からの便はまだまにあうだろうか
片っぱしから友達に借りまくれば
けっして行けない場所でもないだろうニューヨークぐらい
なのに永遠の嘘を聞きたくて 今日もまだこの街で酔っている
永遠の嘘を聞きたくて 今はまだ二人とも旅の途中だと
君よ永遠の嘘をついてくれ いつまでもたねあかしをしないでくれ
永遠の嘘をついてくれ なにもかも愛ゆえのことだったと言ってくれ
この国を見限ってやるのは俺のほうだと
追われながらほざいた友からの手紙には
上海の裏町で病んでいると
見知らぬ誰かの下手な代筆文字
なのに永遠の嘘をつきたくて 探しには来るなと結んでいる
永遠の嘘をつきたくて 今はまだ僕たちは旅の途中だと
君よ永遠の嘘をついてくれ いつまでもたねあかしをしないでくれ
永遠の嘘をついてくれ 一度は夢を見せてくれた君じゃないか
傷ついた獣たちは最後の力で牙をむく
放っておいてくれと最後の力で嘘をつく
嘘をつけ永遠のさよならのかわりに
やりきれない事実のかわりに
たとえくり返し何故と尋ねても 振り払え風のようにあざやかに
人はみな 望む答だけを聞けるまで尋ね続けてしまうものだから
君よ永遠の嘘をついてくれ いつまでもたねあかしをしないでくれ
永遠の嘘をついてくれ 出会わなければよかった人などないと笑ってくれ
君よ永遠の嘘をついてくれ いつまでもたねあかしをしないでくれ
永遠の嘘をついてくれ 出会わなければよかった人などないと笑ってくれ
この歌を2006年の「つま恋」で歌った時の様子を、テレビを見ていた人は次のように書いている。
突然拓郎が生ギターで歌い出し、1番が終わったころ左袖から女性が入ってきた。
すぐに中島みゆきだと分かった。
この歌も、中島節がしっかりと出た力強い歌だ。
拓郎が歌うと自分の歌のように聞こえるから不思議。
そして、さいごは二人でさびの部分を歌い、さっと引き上げていく。
拓郎は「中島みゆき!」と最後に紹介した。
中島みゆきは、観衆に手を挙げて、さっと消えていった。
その潔さというか、さわやかさに私は感動を覚えた。 (とあるブログより)
このブログ子は、「潔さ」「さわやかさ」と書いているが、そんなことあるわけがない。むしろそこまで(さびの部分を歌うまで)が中島みゆきが拓郎と一緒にいることのできる限界だったという他はない。
拓郎を究極のところで憎しみながら、パロディに転換する、そのパロディ自体が憎しみを増大させる。まいった、まいった。そこまで自虐的になるのか。
これは推論でもゴシップでもない。それに私は拓郎を批判しているわけでもない。この詩(の意味)を感じているだけだ。「永遠の嘘」。「の」がすごい。普通は「永遠に」と副詞を使うだろうが、中島みゆきは「の」と書いた。「永遠の嘘」とはあれこれの嘘(複数形)ではない。「嘘そのもの」ということである。中島みゆきは、拓郎伝説自体をひっくり返そうとしたのだ。それに私は、ぞっとする…。
中島みゆきは何年経っても、拓郎が死ぬ直前であろうと、長くは一緒にいられまい。拓郎もまた死ぬ気で(恥を忍んで)中島みゆきをコンサートに呼んだのだ。最後まで拓郎は女に甘えているのである。男女の関係(あるいは人間の関係)はいつでも難しい。男はいつでも最後には女に許してもらえると思い込んでいる。そういう思い(思い上がり)が、女性になにがしかのキズを残す。そのキズを癒すように女性はいつも叫んでいる。「永遠の嘘をついてくれ」というように。
私でさえ、これは家内が私に書いた詩だと思うくらいだ。すべての女性は「永遠の嘘をついてくれ」と叫んでいる…。男は拓郎に限らず、「永遠の嘘」つきだ…
※私の拓郎関連記事
「拓郎&かぐや姫・2006年つま恋コンサートをまた見逃してしまった ― 拓郎は叙情的な体育会系」http://www.ashida.info/blog/2006/10/2006.html
「『永遠の嘘をついてくれ』映像を今頃見つけました ― やっぱり拓郎と中島みゆきは“できている"」
http://www.ashida.info/blog/2006/11/post_176.html
(Version 6.0)
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