※この記事は「iPadはなぜ売れないのか ― 発売前のiPadを手に入れました」(
http://www.ashida.info/blog/2010/05/ipad_ipad.html#more)の補論です。併せてお読み下さい。

iPadは、モバイルPCではない。そんなものと比較してもしようがない。たしかにそうだ。そもそも持って歩く気など全く起こらない大きさと重さ。

どんな感じで使うかと言えば、室内の適当な場所にさりげなく置かれていて、それを手にとって使うという感じ。立ったままか、座ったままかは別にして手に取るという感じを想定して作られてる。

なぜか。普通にテーブルや机の上に置いて使うには視野角が広くない。目の前においてもベタ置きでは暗くなる。そもそもテーブルや机の上に置いて使うのなら、通常のPCでもいいのだからそんなことに不満を言ってはならない(苦笑)。

そこで、両手で持って使うことを前提にするなら、閲覧中心のiPadとなる。そもそも両手で持つならタッチタイピングは不可能。大概の場合、両親指を使った入力になる。ところが両親指だと私のような大きな手でもiPadは少し大きすぎる。

底辺が長い面(242.8mm)を下にした場合はもちろんだが、短い面(189.7mm)を下にした場合でも少し大きい。親指の移動距離が大きすぎるサイズなのだ。少なくとも日本人には。女子はもっとツライだろう。iPhone でさえその横幅を大きすぎると言って嫌う女性は多い。

たとえば、ロック解除のパスワードロック画面(iPhoneサイズで中央に現れる)の四桁数値をiPadを両手で持ちながらさりげなく入力することは、男性の私でもほとんど不可能。

しかし、これもまたiPadに対する大きな不満にしてはいけない(苦笑)。iPadは通常のPCのようなオフィス・ビジネス・ワープロ+表計算用途的な入力操作を想定していない、と。

となると、iPadは何を想定しているのか。たぶん、膨大なインターネット情報や電子情報を、これまでのPC利用の環境(モニタ装置+PC本体+キーボード+マウス+机+椅子+1個人対面)の制限を超えて提供したいというのが、iPadの本望。

この本望の一部はすでにiPhone が実現している。iPhoneはカーソル移動とスタイラスペンからMobileツールを解放した。ザウルス、WindowsCE(WindowsMobile)、Palmの伝統からのエポックだった。そしてそれは何よりも携帯電話の多機能ボタンと階層化メニューからの解放でもあった。

iPhone の携帯電話クラウド化の意義はたしかに大きいが、携帯ツールは操作性の意義の方がはるかに大きい。

カーソル移動とスタイラスペンからMobileツールを解放した一番の意義は、小型化の中でのモニタの解像度問題を一応は解決した点だ。iPhone の解像度は当時のMobileツールの中でも高解像度ではなかったが(480×320)、それがどうした? というほどに指によるマルチ操作は快適だった。携帯電話のサイズで初めて本気でフルサイトブラウジングする気を起こさせたのである。

iPadもまた、カーソル移動とスタイラスペン(PCではマウス)から「パソコン操作」を解放したという点で大きな意義を持っているが、それはiPhoneが切り開いた地平。

しかし解像度と大きさが拡大されたために、PC用途そのものを拡大する期待を背負わされることになった。

iPadの解像度は、1024×768ピクセル、サイズは9.7インチ。レッツノートと解像度は同じ、サイズはRシリーズの一回り小さいくらいだが、iPadのスペックの意味はそこにはない。

縦でも横でも自由に使えるため(しかもiPhone と違って縦横変換ロックができる)、縦使用すると(短い辺を上下にする)、1024の垂直解像度を確保したことになり、大きなモニタ解像度を得ることになる。フルサイトブラウジングはそもそも縦長の方が適している。これはコロンブスの卵のような話だが、使ってみて「そうだよなぁ」と実感できる。

iPhoneでも他の携帯端末でも縦横フリーのモニタ利用はあったが、1024×768解像度の縦横フリーのモニタ利用は、iPhoneなどの縦横フリーとは比較にならない快適さがある。もちろん机上型でもその種のものは以前からあるが、ヒンジのないiPadの比ではない(し、そもそも薄さと軽さという点でも比ではない)。

つまりネットブラウジングの快適さはネットパソコンの比ではないだけではなく、他のハイパワーモバイルPCの比でもないと思われる。電池も格段に持つことから言えば、ネット利用とメールの送信程度に入力が限られる従来のユーザーから見れば、モバイルPCと比較したくなるのは当然の傾向。

しかしながら、問題は形状にある。何度強調しても強調しすぎることはないが、このiPad、手で持つことを想定している。iPad評価の鍵は、形状論。形状論のないiPad評価は全て無意味だ。

iPadは机の上やテーブルの上で使うという感じではない。ドックやハードキーボードを追加して無理矢理にでも使おうとするユーザーがいるだろうが、それはわざわざiPadを従来のPC評価の延長に押し込めているだけのこと。

ネットブラウジングが「快適」と言っても、手で持ちながらのブラウジングが最適であるようなコンテンツに限られる。そこがこのiPad評価の生命線。

iPadはコンピュータで仕事をばりばりしたい人が使うものではない。机好きの人が買うツールでもない。

「手」利用のコンテンツ・メディアとしては、書籍(電子書籍)などがその一つだろうが、しかしiPadは書籍よりははるかに重い。文庫や新書と較べると、700グラム前後のiPadは3倍、4倍の重さ。

たくさんの書籍をiPad一つで持ち出せる、なんていう人がいるが、まず電車の中ではこんなもの読めない。画面が大きすぎて隣の人に丸見え。見えすぎる大きさなのだ。満員電車ではもっと無理。歩きながらはもっと無理。

電子書籍の意味は何冊も持ち歩けることにあるのではなく(そもそも一日に何冊も完読する人が何人いるというのか)、本来は書籍のテキストデータベース化。読まないとデータ化できなかった書籍のフルテキスト内容(書籍の丸善カード化)を、検索一つで探し当てること、これが電子書籍化の最大のメリット(コンテンツ提供側のメリットも多いがここではこの程度にとどめておく)。

書籍は人が手で持ちながら(も)使うコンテンツの一つだが、それでも500グラムも超えると机の上で開いて読むのが普通。両手で持ちながら使うiPadは重すぎるし、平置きした場合には視野角の問題が残る。しかも世界大のテキストデータベースなどまだまだ存在しそうにない。

書籍の他に何があるのか。私には、この先のコンテンツが見えない。リビングに座りながら、立派に設置してあるPCを無視して、iPadを膝に置きながら使う。この場合、どんな用途があるというのか。最初は楽しいかもしれないがそれ以上のものではない。

PCが自宅にない、あってもネットパソコン止まり。このユーザーはiPadユーザーになりうるが、しかしこの人達はもともとパソコン(+モバイル)志向。電子書籍的な「手」のユーザーではない。

また学生の一部や20代、30代のOLの一部には、自宅内にPCがあっても携帯電話でネット利用する層が存在しているが、この層は主には机拒否派。ベッド(=ふとん)の中でも寝る寸前までネット(+メール)利用する層。iPadはこの層に机拒否という点では合致するが、ベッドの中では形状と重さが中途半端。携帯(主にはiPhone )のような軽快感がない。

パソコン志向でないユーザー。たとえば、小学校に就学する前の子供たち、老人層、身体障害者の一部はどうだろう。この層には、iPadはユーザーインターフェイスという点で及第点だが大きさと重さという点で辛い。ベッド(=ふとん)の中に持ち込めないものは、この層にも不適なのだ。

後は、商用、たとえばショールームなどでの利用がある。たぶんいくつかの用途は考えられるだろうが、いまiPad待望論で騒いでいる連中が法人利用を想定してるとは考えられない。

iPhoneがAndroidを待つまでもなく、GOOGLEカレンダーやGmailと親和性を持ち、PCライクな存在として普及した今、「手」PC利用(反カーソルキー、反マウス・反スタイラスペン)の手軽さはこれ以上のものはないくらいに認知されている。iPadは、むしろ「手」志向としてはその形状と重さからして逸脱した存在なのだ。

6月すぎにはその新しいiPhoneが発表される。秋には新しいiPad(今月発売されるiPadの半分の大きさと重さ?)が発売されると聞く。iPadの本命はこの「秋iPad」に決まってる。

新しいiPhone を買うか、「秋iPad」を買うか、選択はそれしかない。ふるさとのお父さんやお母さんに買って上げるにも「秋iPad」が最適ですよ。

調子者だけが新しいとか言って5月iPadに手を出す。携帯電話の4000円を超える定額通信料にさらに3000円の追加投資。半年も経たないうちにもっと素敵な「秋iPad」が出たときにはもはや手を出せない。そんなバカな事をする必要はない。→「にほんブログ村」

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